松下幸之助花の万博記念賞

「自然と人間との共生」という花の万博の基本理念の実現に貢献する、すぐれた学術研究や実践活動を顕彰

講演会

第13回(2005年)

記念賞

大場 達之(財)自然保護助成基金 理事 元 千葉県立中央博物館 副館長

地域の植物を調べる-市民の身近な環境情報としての植物誌-

講演要旨

私は研究生活の初期においては、もっぱら高山の植物群落を種類組成の面から類型化する研 究を行なってきた。最初に取り組んだのは、ハイマツなどの亜高山の低木林帯よりも高いところに 発達するヒゲハリスゲのような丈の低いスゲ類やチョウノスケソウのような矮性低木などによって 構成される高山低小草原の分類である。日本の高山をあまねく調査し、その材料を北半球中・北 部の類似の群落と比較して群落を体系的に分類した。この研究ではドイツに留学した機会に、ヨ ーロッパの高山を広く歩くと同時に、ドイツの研究所の豊富な文献を調べ、北半球の広い地域を 比較して研究を進めることができ、この研究で理学博士の学位を得ることができた。
研究に専念できたドイツから帰国後、自らの勤務する神奈川県立博物館の日常の勤務にもどっ てから、学芸員として市民に対して何を果たすべきか、自然科学がその活動を支える市民のため に何を行っているかについて考える機会が多かった。

博物館は元来、王室あるいは富裕層の収蔵品を整理保管するための空間であり.学芸員( curator、Kustos)とは、その財産管理人であった。市民革命によって博物館が市民に開放されて からも,科学の研究は学問の神に奉仕する研究のための研究であることが一般であった。現在で も「科学においては、知識の生産、蓄積、流通、消費、評価が、すべて科学者の共同体、専門家 集団の内部で行われる-村上陽一郎:科学の現在を問う-」。科学研究の実態は研究者のための 研究であるといえる。このような科学のための科学に終始することに疑念を抱き、地域博物館で 植物を担当する者として、納税者である市民に対して植物の研究者が果たすべき役割を再考す るに至った。また植物生態学者の1人として 1960 年代から、環境アセスメントの仕事に対し毎年 相当の時間を費やしてきたが、身近な環境が一向に改善されたという実感がないことに対する反 省が一方にあったこともあって、地域自然誌博物館が地域社会に果たすべき最も重要な役割は、 地域の自然誌の詳細な情報を収集し提供することを通じて地域の望ましい環境の保全に役立て ることであると考えるに至った。

そこで市民による市民のための植物誌を、自然誌博物館と市民の共同作業を通じて作成するこ とを提案し、神奈川県植物誌を新しい観点から調査編纂することを神奈川県の自然誌系の博物 館の学芸員、植物同好会の会員、アマチュアの研究者などにはかった。植物誌(フローラ)とは特 定の地域の植物の全種類の目録あるいは、それを書物にまとめたものである。自分の住んでい る地域の植物を自分たちで調査し、それを総合して県の植物誌を完成させましょうと新聞記事を 通じて一般市民にもよびかけた。調査に協力したのは高度なアマチュア研究家や公募した地域住 民など 150 人ほど。1979 年に神奈川県植物誌調査会を発足させ、市町村を基礎とし、大きな市町 村は更に細分した 108 の地域について、自生する植物の全ての種類の標本を集めて博物館に集 積することとした。参加した市民と共に9年間、調査と勉強を続け、その進展の状況はニュースレ ター「Flora Kanagawa」で情報の共有化をはかり、数次にわたり仮目録を作成した。1988 年春にパ ソコンと活字プリンタによる文字原稿、会員の手になる図版、すべての種についての分布図などを 集めてオフセットの刷下に張り込みA4版1400ページを超える本が完成した。この調査によって、 都市域などの植物はきわめて短期間に大きく変動していることがわかった。特に帰化植物の変化 は著しく、すくなくとも10年後には改訂が必要であることを予測し、書名は改訂版の作成を考え「 神奈川県植物誌1988」とした。調査には最終的には114名が参画し、75000点の標本を基礎に 2802種を記録した。
神奈川県植物誌はその後、前回に倍する参加者を得て新しい世代の研究者を中心に改訂版の 編纂を進め2001年の改訂版「神奈川県植物誌2001」には250812件のデータを基礎に3172種を 記録し、国土情報3次メッシュ(約1km四方)による分布図を付加している.種類の増加は主に 856種に及ぶ帰化植物の増加によるもので、これは環境破壊が進んでいることの証明でもあり単 純に喜ぶことはできない。
私は「神奈川県植物誌1988」の完成後、千葉県に新設される博物館の設立準備のために千葉 県に移ったが、1989年に千葉県立中央博物館が開館すると、沼田眞館長の要望で千葉県植物 誌の編纂を開始することになった。千葉県は神奈川県の2倍の面積を持ちながら、アマチュアの 植物研究者の数は千葉県の数分の一にすぎず、神奈川県とは異なった方法をとらざるを得なか った。新しい千葉県植物誌調査の原点となった市原市では、小学校区を単位として、住民が自分 の住む地域を分担して植物を調査し、個々の植物の分布データは3次メッシュで記録することを行 った。この3次メッシュでの調査には千葉県立中央博物館が1990年に刊行した「千葉県メッシュマ ップ」が大きく役立っている.この小学校区単位の調査は佐倉市でも実施した。また折目庸雄先生 は定年退官後に自分の住む富里町(現在は富里市)の植物を調査し、採集した標本をすべて千 葉県立中央博物館に寄贈され、更に芝山町、酒々井町の植物誌おも完成されている.これらの拠 点地域以外でも市川市、船橋市、袖ヶ浦町、八千代市などの植物目録が有志の手で作成され、こ れに漏れる地域は有志を糾合して三次メッシュを基礎にルートセンサスと標本の収集を行い2003 年には50万件を超える分布データを得て、千葉県の植物分布の大略を把握することができた。ま た企画が進められていた「千葉県史」の編纂事業のなかに自然誌編を加えることが出来、植物誌 をその1冊として印刷することが可能となった。千葉県の植物誌は過去に、輿世里盛春(1932)「千 葉県植物目録」、千葉県生物学会(1958)「千葉県植物誌」、千葉県生物学会(1975)「新版千葉県 植物誌」の三冊が刊行されており県史「千葉県植物誌」4冊目になる。正式の名称は「千葉県の自 然誌別編4.千葉県植物誌.県史シリーズ51」でA4版1181ページになる。項目として取り上げた 植物の種類数は2786で、すべての種類について3次メッシュによるカラーの分布図とカラー図版 が付されている。

この植物誌では試みたユニークな点をいくつか挙げる。
コロン記載:総ページ数に制約があったので、種類ごとの記載を簡略にする目的もあって、植物の 形質の内、次の項目についてコロンと中黒で区切って1行で記載した。
花の向き・花の色・花粉媒介:種実散布:葉の付き方・葉の構成・葉縁の形・葉の寿命:生活形( ラウンケアの生活型)。
定着度指数:植物の種類が、それぞれの地域にいつ頃から定着しているかを5項目5段階に評価 したもの。評価の項目は・移住の時期・生活空間の自然?人為度・渡来の手段・分類群の異質度 ・生物地理上の異質性である。
植物保護上の評価:絶滅危惧の程度に換えて保護を要する植物の要保護の程度を5段階に評価 し、健全な段階にある植物を2段階、有害な植物を有害の程度に従って2段階に区分し、地域の 植物を管理のレベルに従って合計9段階に区分した。
多軸生態系列図による植物の生態空間表示:植物の空間分布情報は、地理的な分布とともに、 その植物の生活する生態空間を表示することが必要であるとの観点から、千葉県内に存在する 生態系列(遷移系列を含む)を中立環境の照葉樹林を中心に集成し、地域のすべての環境空間 を、群落分類の群綱のレベルで包括した多軸生態系列図を作成し、種類ごとの生育環境を図上 に表示した.ページの制約から主要な植物 504 種を表示。
スキャノグラフィによる植物図:1億2千万画素以上の精度を持つA3版のスキャナで生きた植物 または標本を電子データとして記録し、実体顕微鏡像なども加えてページを構成し、多量のカラー 画像を集成することをおこなった。これは今後ひろく行われる手法と考えられる。スキャナによる記 録は拓本の延長上にあると考えられ、nature printingまたはNatursekbstdrueckの系譜に属する。 ヨーロッパでの Knihof、Ettingshausen、Bradbury あるいは江戸時代にもたらされた Knihof の「印 葉図譜」に影響された尾張本草学の大窪昌明などの nature printing の実例をスキャノグラフィの 祖先として紹介した。
これまでに出版された県レベルの植物誌を、その内容から5項目5段階に評価したポリゴナルグ ラフを見ると、神奈川県と千葉県の植物誌は過去に出版された地域植物誌の頂点に立つ内容に なっていると考える。