日本人留学助成
諸外国との交流の促進、諸外国の発展と国際相互理解に寄与する研究を志す海外留学を助成。

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先輩の声

持ちつ持たれつの関係を目指して  東京大学大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻「人間の安全保障」プログラム博士課程 片山夏紀

はじめに

貴財団の2014年度研究助成、2014年度松下幸之助国際スカラシップのご支援を賜り、2014年11月〜2015年3月、2015年4月〜2016年12月まで、アフリカ・ルワンダ共和国に滞在しました。私はルワンダ大学と提携していましたが、農村と首都を行き来する現地調査が中心でしたので、大学で単位を取得する留学形態とは異なっています。
これからお話させて頂く留学経験が、この文章を読んで下さっている方々にとって、スカラシップの制度をお知りになる一助となれば幸いです。

調査概要


聞き取りへ向かう道中。丘陵斜面には、
プランテンバナナの畑が広がる(2015年3月)

ルワンダでは、1994年にジェノサイドが起こり、犠牲者数は論者によって異なりますが、50〜100万人と言われています。私の博士論文では、器物損壊・窃盗・殺人等を含むジェノサイド罪を、ローカルレベルで裁いたガチャチャ(Gacaca)と呼ばれる裁判を扱っています。2012年の閉廷後も、ジェノサイドの被害者と加害者が近隣に住む状況で、ガチャチャが被害者と加害者にいかなる影響を及ぼし続けているのか、裁判の当事者たちがどのように人間関係を構築しているのかが主なテーマです。
この主題で論文を執筆するにあたって、私自身も農村に住み込んで調査協力者たちの日常生活を観察させてもらいながら、緻密な聞き取りを行うことが必要不可欠でした。ジェノサイドの被害者、加害者、ガチャチャの判事を中心に、当事者の家を一軒一軒訪ねてお話を伺いました。加えて首都では、警察本部に保管されたガチャチャの裁判記録を閲覧しました。

調査許可証取得と人間関係構築

友人から「ルワンダ滞在中は、何が1番辛かった?」と尋ねられると、決まって私は、調査許可証の取得と、農村の方々との関係構築に労を取ったと答えます。ルワンダでは、調査許可証の取得が義務付けられています。私の場合は、調査開始以前から現地に何度も足を運び、取得に1年以上を費やしました。現地の指導教官探し、提携大学との交渉、政府機関との煩雑なやり取りを繰り返すうちに、提出した書類が届いていない、窓口をたらい廻しにされる等のハプニングが続出し、その度に気を揉んでいました。しかしそこから学んだのは、諦めなければ、なんとかなるということでした。


農作業を手伝わせて頂いた(2016年8月)

やっとの思いで許可証を取得して喜んだのも束の間、今度は、調査地の方々とどのように人間関係を築くのかという課題に直面しました。単身で調査地に飛び込んだ後は、住民とゼロから関係を築き、聞き取りの協力を得る必要があります。
しかし住民間では、依然としてジェノサイドに関連する話はタブーでした。現地の方々が話したくないことを詳しく聞いてしまうと、警戒される可能性もあります。できるだけ信頼してもらえるように、村長や調査協力者たちにインフォームド・コンセントを丁寧に行い、調査の目的と意義を理解してもらえるよう努めました。
調査協力者以外の人たちと仲良くなるためにも、暇を見つけては友人の結婚式や教会のミサに足を運び、農作業を手伝わせてもらい、民話や諺や謎々も教えてもらいました。村で生活するとなれば、ルワンダ語の習得は必至でしたが、言葉から文化を垣間見るようで、言語学習は想像以上に楽しかったです。村の人たちからは「よく笑い、人と話すことが好きで、ルワンダ語にとても関心がある子」と噂されていたようなので、試行錯誤の甲斐あって、最終的には、住民とある程度の信頼関係を構築できたと考えています。

焦りと苛立ち

調査許可証は期限付きなので、限られた時間で農村と首都を往復し、聞き取りと裁判記録の閲覧を両立させなければと焦っていた記憶があります。しかし、焦れば焦るほど、調査に協力して下さる方々との関係もぎこちなくなっていきました。お話を伺いたい余りに、ある調査協力者宅に通い詰めてしまい、居留守をされたこともあります。ホームステイ先の家族と、調査内容や家賃に関して揉めてしまったこともありました。


毎年4月にジェノサイド追悼週間が開催される。
農村の集会では、歴史やイデオロギーに関する講義、
被害者への寄付等が行われる(2015年4月)

悪戦苦闘したのは、現地の方々からお金や物をねだられる時でした。現地の方々は、お金に困った時、家族や親戚、友人に頼んでお金を工面します。私も例外ではなく、子どもの治療費や授業料を払ってほしい、お金を貸してほしい、日本のパソコン・携帯・カメラが欲しい等と言われるのは日常茶飯事でした。関係をこじらせないために現金を渡すことは控え、お礼がしたい時は砂糖や果物を手土産にしました。その風習を頭では理解できても、度重なるやり取りに手を焼いていました。

このような状況下で、周りの方々と波長を合わせるのが難しくなり、独りよがりで居場所がないような感覚に陥っていきました。

ありのままを受け止める

しかし、そのような状況に直面したからこそ、どうすれば調査地の方々と仲良くできるのか、自分が楽になれるのかを真剣に考え始めました。苛立つ原因は、「もし私だったら、そう言わない、そうしない」と、自分の基準を相手に押し付けている点にありました。考え方が異なる相手を、自分の物差しで図るのではなく、ありのまま受け止めることができれば、相手も自分も楽になるのではないか。それに気付いた瞬間は、目の前が明るくなり、視界がみるみる開けていきました。

想像力

また、ルワンダ人の神父が掛けて下さった言葉から、相手の状況を想像する大切さを教えてもらいました。些細な日本土産を手渡した時に、神父は「スーツケースの限られた隙間に、自分への土産までも詰めてくれた」と想像し、「思い出してくれてありがとう」と仰いました。神父が私の状況をそこまで想像して下さったことに感嘆し、相手の気持ちを想像する優しさを持って接すれば、相手も自分も平穏になると気付かされました。


農村のホームステイ先で料理を作ってくれた
お手伝いさん(2014年9月)

持ちつ持たれつの関係

翻って自分は、調査を進めたい欲求を、調査協力者に一方的に押し付けていました。そうではなく、相手の話をよく聴いて、気持ちを想像し、接するように心がけました。調査協力者の子どもに英語を教えて欲しいと頼まれれば、快く引き受けました。相互に助け合う、持ちつ持たれつの関係を広げることができれば、平和な暮らしが実現すると実感しました。調査協力者や村の方々と、少しずつ歯車が噛み合うようになり、最終的には約100人の方からお話を伺うことができました。

感謝

調査地では始終停電や断水があり、薪や炭で料理をし、洗濯も掃除も手動です。家電に囲まれて育った私は、する事なす事が半人前で、家事の大半を村の人たちに手伝ってもらっていました。「今までどうやって生きてきたの?」と本気で目を丸くされたこともあります(パナソニックの家電製品を普及できず残念だったので、将来的にインフラが整えば、普及できると良いなと思います)。周りの方々の助けのお陰で生き延びることができたといっても、過言ではありません。他者に生かされている感謝が身に沁みました。

おわりに

学部生時から貴財団の支援を賜るまで、ルワンダへは通算4回渡航しましたが、1回あたり2週間〜2ヶ月間と滞在日数が短く、現地で暮らした経験はありませんでした。約2年の滞在が可能になったからこそ、社会に揉まれて壁にぶつかり、またそれを越えていくチャンスを与えて頂きました。スカラシップで得たのは研究の成果だけでなく、これからの生き方が変わるような経験でした。


水汲みへ向かう子どもたち(2016年1月)

現在は日本で博士論文の執筆に取り組んでいます。現地で収集したデータと先行研究を擦り合わせていく作業は、調査とはまた違う苦労を要しますが、論文を書き上げることが、調査に協力して下さった全ての方々への、感謝の印だと考えています。
脱稿後は、ルワンダ語に要約して、政府機関や村の人たちへ成果を報告する予定です。現地の方々からどのようなツッコミを入れられるのか、今からとても楽しみです。

これから応募を考えていらっしゃる方々へ

持ちつ持たれつの人間関係を目指すというのは、現地の方々との関わりのなかで発見できたことで、帰国後もできる限り実践に努めています。皆さんも、留学先で、自分を変えてくれる出会いや発見があるかもしれません。

(2017年5月)